
『匠乃固鞄(たくみのトランク)』ブランドコンセプト
幼少期より気になっていたのは、リビングテーブルの下に置かれた古い革表紙の大きな英語辞典でした。父のお父さん、つまり私の祖父(アメリカ人宣教師の秘書や英語学校の先生だった)が仕事で使っていたものです。
私は1964年の生まれ、祖父は第二次世界大戦終了後間もない1948年に帰天しているので祖父のことは父や叔父叔母から時々聞かされていた(子供時分の戦争も酷かった辛い時代のことで、あまり思い出したくないのかほとんど聞かせてもらえなかった)「おじいちゃんは貿易の仕事をしたかったんだよ」とか「本町で文房具屋をしたいと言ってお婆さんにダメですと怒られた」とかそんな断片的な話くらいでした。
叔母の家には祖父の使っていた革トランク(満州出張に使っていた)がおいてあり、それをみながら叔母は目に涙を浮かべながら懐かしそうに祖父の話をしてくれました。父が持っていた革の辞書や叔母のところの革トランクには、父の家族の懐かしい思い出が込められていました。
私が革トランクを扱い出したのは21世紀になってすぐの頃。当時すでに祖父の革トランクは作られてから70年ほど経過していたでしょうか。把手の付け根が切れて鞄としての実用性はありませんでしたが、箪笥の上で色々な道具の収納として現役で役立っており、それよりも家族の思い出の宝箱として凛とした存在感を持っていました。
そんな革トランクに魅せられて『匠乃固鞄』を始めたので、新しくお作りする革トランクが主人の仕事や人生のお供として一緒に時を重ね、主人の人生と家族の思い出を込めて子供や孫の世代に受け継がれてほしいと願っています。
『匠乃固鞄』はあなたと家族の「心を伝える」革トランクです。
『匠乃固鞄』主宰 門田 真
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「父のトランク」オルハン・パムク著
ノーベル文学賞受賞講演
『父のトランク』
亡くなる二年前に、父は自分の書いたものや、メモや、ノートの詰まっ
た小さなトランクをわたしのところに持ってきました。いつものふざけた、皮肉
な調子で、後で、つまり自分の死後、それらを読んで欲しいとあっさり言いました。
「ちょっと見てくれ」とやや恥ずかしそうに、「何か役にたちそうなもの
があるかもしれない、その中に。もしかしたら死後、お前が選んで出版し
ても」と。
わたしたちはわたしの仕事場で、本の間にいました。父は、彼を苦しめ
る特別な重荷から救われたがっているかのように、トランクをどこに置こうか
と、わたしの仕事場を見回していました。それから手に持っていたも
のを目立たない片隅に、そっと置きました。ともに気恥ずかしく感じていたこの
忘れ難い瞬間が終わるや否や、二人ともいつもの自分たちに戻り、人生を軽く受
け取る、ふざけた、皮肉な人間に戻って、ほっとしました。いつものようにいろ
いろなことを、人生やら、尽きることのないトルコの政治問題やら、たいていは
失敗に終わった父の仕事のことなどを、あまり深刻にならずに話しました。
父が帰った後で、わたしはトランクの周りを何度か行ったりきたりしま
したが、トランクには手を触れなかったのを覚えています。小さな、黒い
革のトランクを、その錠を、丸っこい角を、はるか子どもの頃から知っていまし
た。父は、短い旅行に出かける時とか、時には家から仕事場に何かを運ぶ時、そ
れを持っていきました。子どもの頃、この小さなトランクを開けて、旅行から
戻った父の品物をかき混ぜて、中から出てくるオーデコロンや外国の匂いが気に
入ったのを思い出します。このトランクは、わたしにとって、過ぎ去った過去
や、子ども時代の思い出の多くがこもっている、よく知っている、魅力ある品物
でしたが、そのときはそれに触れることさえできませんでした。どうしてか?
もちろんのこと、それはトランクの中にある、隠された、神秘的な重さゆえです。
今、この重さについて話そうと思います。・・・・
2007年株式会社藤原書店発行 和久井路子訳
